つげ義春作・二岐渓谷
福島民友新聞に掲載されました。
(2020年10月26日 掲載です)
その一部をご紹介いたします。
【つげ義春作・二岐渓谷】天栄・二岐温泉 さらに近づいた...理想郷
天栄村湯本の奥深い山中にたたずむ二岐(ふたまた)温泉。渓流に沿って温泉宿が点々と並ぶ中で、急な石階段を下った二俣川沿いにある「湯小屋旅館」は、ひときわ建物が古くてひなびている。ここは伝説の漫画家つげ義春さん(82)の作品「二岐渓谷」のモデルになった場所だ。今は改装のため休業中だが、工事は完了間近である。
「年明けには再開したい」と現在の館主、高萩一之さん(62)=白河市=は話す。高萩さんの本業はテレビ制作会社の経営者だ。メディアCoCо(郡山市)の社長を務めながら、これまで土日祝日のみの営業で旅館を切り盛りしてきた。「私が旅館を引き継いだ時は、こんなすごい漫画のモデルだとは全く知りませんでしたよ」と高萩さんは豪快に笑う。
「年明けには再開したい」と現在の館主、高萩一之さん(62)=白河市=は話す。高萩さんの本業はテレビ制作会社の経営者だ。メディアCoCо(郡山市)の社長を務めながら、これまで土日祝日のみの営業で旅館を切り盛りしてきた。「私が旅館を引き継いだ時は、こんなすごい漫画のモデルだとは全く知りませんでしたよ」と高萩さんは豪快に笑う。
孤独と命描く
物語は秋の終わり、東北への旅に出発した青年の姿から始まる。台風が迫る日、二岐温泉に到着。老夫婦が営む谷底のわびしげな温泉宿に泊まることになった。夕食前に露天風呂に入ると先客があり、近づくとサルだった。夜になり台風が襲う。外に出ると濁流の中で逃げ遅れたサルが悲鳴を上げている。「助かる見込みは」と尋ねる青年に、「まず絶望です」と館主のじいさんは告げるのだった。
全18ページの短い作品でありながら傷を負ったサルの姿に孤独な青年の心境と命のはかなさを投影させた名作である。初出は1968(昭和43)年の漫画雑誌「ガロ」2月号。つげさんが実際に旅館を訪れたのは発表前年の11月1日だった。大まかなストーリーは旅行前から出来上がっていたそうだが、この時の体験が具体的な描写の数々を生み出した。今春から全作品を収めた「つげ義春大全」(講談社)が刊行中で、「二岐渓谷」は代表作の「ねじ式」などと一緒に第16巻に収録されている。
湯小屋旅館が作品のモデルだと分かるのは玄関先の場面だ。「...の小屋命名の由来」という看板があり、今も旅館に残る。「来客するのは、つげファンか秘湯ファンのどちらかですね」と高萩さん。つげファンからは事前の問い合わせで「玄関は漫画のままですか」とよく聞かれる。「今回の改装でも玄関だけは残すことにしました」
高萩さんが旅館を引き継いだのは2003年のこと。当時は制作会社のテレビカメラマンだった。若い頃から秘湯巡りが好きで、その趣味を知っている知人が「廃業する旅館があるから引き継いでみないか」という話を持ち込んできた。二岐温泉にはよく通っていたが、湯小屋旅館のことは存在すら知らなかった。前館主の星卓司さん(故人)は、漫画に出てきた老夫婦の息子になる。体調を崩して廃業を考え始めていた。見学に行き、すぐに気に入った。決め手は絶景の露天風呂だ。
仲間数人と共同経営で引き継ぐことにした。それぞれ本業があるため土日祝日のみの営業となり、月一度の持ち回りで店番をする。露天風呂の清掃が毎回大変だったが、それでも続けてきたのは「秘湯が好き」という思いがあったからだ。東日本大震災後は仲間の本業が忙しくなり共同経営はやめ、高萩さんだけになった。毎週末は行けないため、常連客がボランティアで店番をしてくれたという。
全18ページの短い作品でありながら傷を負ったサルの姿に孤独な青年の心境と命のはかなさを投影させた名作である。初出は1968(昭和43)年の漫画雑誌「ガロ」2月号。つげさんが実際に旅館を訪れたのは発表前年の11月1日だった。大まかなストーリーは旅行前から出来上がっていたそうだが、この時の体験が具体的な描写の数々を生み出した。今春から全作品を収めた「つげ義春大全」(講談社)が刊行中で、「二岐渓谷」は代表作の「ねじ式」などと一緒に第16巻に収録されている。
湯小屋旅館が作品のモデルだと分かるのは玄関先の場面だ。「...の小屋命名の由来」という看板があり、今も旅館に残る。「来客するのは、つげファンか秘湯ファンのどちらかですね」と高萩さん。つげファンからは事前の問い合わせで「玄関は漫画のままですか」とよく聞かれる。「今回の改装でも玄関だけは残すことにしました」
高萩さんが旅館を引き継いだのは2003年のこと。当時は制作会社のテレビカメラマンだった。若い頃から秘湯巡りが好きで、その趣味を知っている知人が「廃業する旅館があるから引き継いでみないか」という話を持ち込んできた。二岐温泉にはよく通っていたが、湯小屋旅館のことは存在すら知らなかった。前館主の星卓司さん(故人)は、漫画に出てきた老夫婦の息子になる。体調を崩して廃業を考え始めていた。見学に行き、すぐに気に入った。決め手は絶景の露天風呂だ。
仲間数人と共同経営で引き継ぐことにした。それぞれ本業があるため土日祝日のみの営業となり、月一度の持ち回りで店番をする。露天風呂の清掃が毎回大変だったが、それでも続けてきたのは「秘湯が好き」という思いがあったからだ。東日本大震災後は仲間の本業が忙しくなり共同経営はやめ、高萩さんだけになった。毎週末は行けないため、常連客がボランティアで店番をしてくれたという。
相次ぐ目撃談
つげ作品との関係については経営を引き継いだ後に初めて知った。「お客さんから『つげさんが来たのはいつなの』と質問されて『誰のことですか』と聞いたら『知らないの』と驚かれた」。それからはつげ作品を片っ端から読み、すっかりファンになった。「まず絵の迫力に圧倒されたし、ストーリーも文学作品のような深さがある」
つげさんは1987年以降、新作を発表していない。それと同時に温泉旅行もしなくなったそうだ。その理由をつげさん自身は「私の温泉離れも、みすぼらしい景観が少なくなったのが原因といえるかもしれない」(「つげ義春の温泉」より)と記している。
しかし最近、二岐温泉では不思議なことが起こっていた。漫画に出てくるサルはフィクションの部分で、以前だと見かけることはなかったが、つい最近になりサルの目撃情報が相次いでいるのだ。「どんどん漫画の世界に近づいている。サルが温泉に入る光景も近々見られるかもしれません」と高萩さん。つげさんの理想とする世界が、この温泉地にはまだ残っていた。
つげさんは1987年以降、新作を発表していない。それと同時に温泉旅行もしなくなったそうだ。その理由をつげさん自身は「私の温泉離れも、みすぼらしい景観が少なくなったのが原因といえるかもしれない」(「つげ義春の温泉」より)と記している。
しかし最近、二岐温泉では不思議なことが起こっていた。漫画に出てくるサルはフィクションの部分で、以前だと見かけることはなかったが、つい最近になりサルの目撃情報が相次いでいるのだ。「どんどん漫画の世界に近づいている。サルが温泉に入る光景も近々見られるかもしれません」と高萩さん。つげさんの理想とする世界が、この温泉地にはまだ残っていた。
【アクセス】二岐温泉は、東北道・白河インターチェンジ、JR新白河駅から、それぞれ車で約1時間。
◇
【二岐温泉】会津地方と中通り地方の境界に位置する二岐山山麓の渓谷沿いにあり、標高800メートルの山峡とブナの原生林に囲まれた静寂な中での露天風呂は格別とされる。1200年の歴史を持つ温泉郷であり「平家落人の里」とも言われる。問い合わせは天栄村観光協会(電話0248・82・2117)へ。
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【つげ義春】1937年東京生まれ。54年に17歳で漫画家デビュー。60年代半ばから漫画雑誌「ガロ」に「紅い花」「二岐渓谷」「ねじ式」などの珠玉短編を発表。独自の幻想性と抒情(じょじょう)味あふれる世界により、国内外で幅広いファンを獲得する。今年2月、フランスで開かれた欧州最大規模の漫画の祭典「アングレーム国際漫画祭」で特別栄誉賞を受賞。
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【県内ゆかりの作品】県内が舞台のつげ作品は「二岐渓谷」のほか、「会津の釣り宿」(1979年)がある。玉梨温泉(金山町)を舞台にしているが、登場する主人のユニークなキャラクターは湯小屋旅館の前館主、星卓司さんがモデルとされる。星さんが客室に描いた壁絵は「枯野(かれの)の宿」(74年)のモチーフになった。代表作の「ねじ式」(68年)には岩瀬湯本温泉(天栄村)の家並みやデコ屋敷(郡山市)のキツネ面が登場する。「もっきり屋の少女」(68年)は、県内が舞台ではないものの会津弁のような方言が使われている。
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【二岐温泉】会津地方と中通り地方の境界に位置する二岐山山麓の渓谷沿いにあり、標高800メートルの山峡とブナの原生林に囲まれた静寂な中での露天風呂は格別とされる。1200年の歴史を持つ温泉郷であり「平家落人の里」とも言われる。問い合わせは天栄村観光協会(電話0248・82・2117)へ。
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【つげ義春】1937年東京生まれ。54年に17歳で漫画家デビュー。60年代半ばから漫画雑誌「ガロ」に「紅い花」「二岐渓谷」「ねじ式」などの珠玉短編を発表。独自の幻想性と抒情(じょじょう)味あふれる世界により、国内外で幅広いファンを獲得する。今年2月、フランスで開かれた欧州最大規模の漫画の祭典「アングレーム国際漫画祭」で特別栄誉賞を受賞。
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【県内ゆかりの作品】県内が舞台のつげ作品は「二岐渓谷」のほか、「会津の釣り宿」(1979年)がある。玉梨温泉(金山町)を舞台にしているが、登場する主人のユニークなキャラクターは湯小屋旅館の前館主、星卓司さんがモデルとされる。星さんが客室に描いた壁絵は「枯野(かれの)の宿」(74年)のモチーフになった。代表作の「ねじ式」(68年)には岩瀬湯本温泉(天栄村)の家並みやデコ屋敷(郡山市)のキツネ面が登場する。「もっきり屋の少女」(68年)は、県内が舞台ではないものの会津弁のような方言が使われている。